神の主観的な心(潜在意識)には否定という概念はあり得ません。なぜなら、神は思い一つで無からすべてを創造する、唯一無二の単一にして絶対的な存在であるがゆえに、否定すべき対象が何も存在しないからです。(ちなみに、絶対的存在とは他の存在がいっさいなくても存在できる存在という意味です。これと対置されるのが神から創られた私たち人間を含む相対的存在です。相対的存在とは他の存在がなければ存在できない存在のことです。神がいなければ、宇宙も私たちも存在していないのですから、宇宙や私たち人間は相対的存在です。)
また、宇宙は万物で満ち満ちていますが、その中に無駄なもの、否定されるべきものは何ひとつありません。万能の神が不要なものを創られるはずはありませんし、そもそもすべてのものは神の光からできているからです。それゆえ、もし神の心に否定という概念があるとすれば、その対象は論理的にいって神自身しかあり得ないことになります。しかし、神がご自身を否定することなどあろうはずがありませんので、神の心には否定はなく、肯定という概念しかないことがわかります。これを神の「大いなる肯定」といいます。
この神の大いなる肯定により、私たちの否定的な思考や想念も、否定されることなく、そのまま肯定されて、神の創造の力により現象化されることになります。神は自らが創られた万物を健全に繁栄的に幸福に生かしめんとしておられますが、それは、私たちの抱く否定的想念の否定を意味するものではありません。そもそも神には否定の概念がないことに加えて、もし、そのようなことをすれば、人間に100%の心の自由性を与えられた意味がなくなってしまうからです。それゆえ、神は私たちが否定的なことを思考しようと、肯定的なことを思考しようと、そのすべてをそのまま肯定し、受け入れて、その思考を現象化するということです。
この真理を理解すれば、とにかく、否定的な思いや想念は持つだけ損であり、現状がどうであれ、つねに肯定的な思考やイメージを持つに限るということがよく分かります。