2-0.否定と肯定

否定的な思考や想念から肯定的な結果が生じることはあり得ません。それが創造の原理であり真理だからです。これを簡潔に表現すれば「否定から肯定は生まれない」となります。同様に、「肯定から否定は生まれない」も真理ですから、心の中をつねに、健康、繁栄、円満な人間関係などの肯定的なよい思い、よい考えで満たせば病気や貧乏、人間関係の葛藤などの不幸を解消することができるということになります。真理は実にシンプルなものといえます。

こう述べると、次のような反論が聞こえてきそうです。

「病気や貧乏になりたくて病気や貧乏になる人などいるはずがありません。自分はもっと経済的に恵まれたいとつねに思い続けているのに、いつまでも貧乏なままです。これはどういうことですか」と。

この反論に対する答えは、人間の意識には「表面意識(建前)」と「深層意識(本音)」の二つがあり、どちらかといえば後者の方が力が強く、後者の思いや考えが結果として現象化しやすいということにあります。そして、私たちのほとんどがこの事実を知ることなく、普段、自分が心の底では何を思っているのか、どのような想念がそこに潜んでいるのか気にすることもなく過ごしています。もしかしたら、私たちは深層意識では「いっそうのこと病気にでもなってしまいたい」とか過去世の修行の影響で「お金は汚いもので悟りの妨げだ」「お金に執着すると天国には入れないのだ」などと思ったりしているかも知れないのです。つまり、表面意識で考えていることと深層意識で感じたり思ったりしていることが真逆であることがあり得るということです。

この点に関してジェームズ・アレンはその著書『「原因」と「結果」の法則 ③困難を超えて』の中で、表面意識の中身を頭の信念、深層意識の中身を心の信念と称して、現象化するのは心の信念の中身であることを論理的かつ明快に説いています。また、『引き寄せの法則-エイブラハムとの対話』にも次のような記述があります。

「どんなことでも、いきなり経験のなかに現れることはない。あなたがそれを-そのすべてを-引き寄せている。例外はいっさいない。

  あなたの思考には「引き寄せの法則」がつねに働いているのだから、あなたが「自分自身の現実を創造している」といっていい。あなたの経験はすべて、あなたが提示する思考に「引き寄せの法則」が働いた結果として引き寄せられてくる。(中略)望まないことを経験しているとき、人はよく言う。「こんなことは絶対に自分のせいじゃない」と。「自分でこんな嫌なことを引き起こすはずがない」と叫ぶ。確かにあなたにはその望まないことを経験しようというつもりはなかったかもしれない。しかしそれでも、原因を作った者はあなた以外にはない、というしかない。あなたの身にそういうことを引き寄せる力は、ほかの誰にもありはしないからだ。望まないこと、あるいはそのエッセンスに思考を集中させることで、あなたは「たくまずして」それを引き起こしてしまった。「宇宙の法則」を理解していなかったから、つまり「ゲームのルール」がわかっていなかったから、そちらに関心を向けることで望まない経験を引き寄せてしまったのだ。 <吉田利子訳『引き寄せの法則-エイブラハムとの対話』(2007年)SBクリエイティブ(株)P.63>

普段は意識することなく生活していても私たちの心の底にはけっこうさまざまな否定的な負の想念が潜んでいるのではないでしょうか。学歴や家系、職種に関するコンプレックスであったり、周囲の家族や職場の上司などに対する不平不満であったり、思い出すたびに心が騒ぐ過去の人間関係の軋轢だったり、それから意外と看過できないのが、マスコミやネットから入ってくる不幸な事件や悲観的な情報の暗示効果などです。これらの否定的想念が深層意識に沈潜していると、その否定的想念に相応する否定的結果が生じることになります。いくら表面意識でよいことを思ったり考えたりしても、深層意識の負の想念が強いと「焼け石に水状態」なのです。

ここで大事な視点が一つあります。それは、いくら焼け石に水状態であったとしても、人生を好転させたいと願うのであれば、よいことを思い続ける以外に打つ手はないということです。表面意識で意図的によいことを思い、考え続けることで、深層意識の否定的想念を徐々に打ち消し、薄めていくほかありません。

結論としていえることは、思考は現実化しますので自分自身を、そして自分の人生環境を改善したければ、「否定から肯定は生まれない」、「肯定的思考からしか肯定的現実は生じない」ことを肝に銘じて、よいことのみを思い考え続けること、これに尽きるということです。もしかしたらコロナウィルスに感染するのではないかとか、交通事故に遭うのではないかといった取り越し苦労や、今となってはどうしようもない学歴や過去の不幸な出来事をいつまでも引きずるような持ち越し苦労などはすればするほど損をします。病気や事故、不足や不幸に目を向けるのは実に怖いことなのです。全知全能であり、かつ忠実に私たちの願いは何でも叶えてくださる神様に「病気や事故に遭わせてください、貧乏や不幸にしてください」とお願いしているのと同じだからです。

ではここで、「否定から肯定は生まれない」という真理について次の三つの視点から少し深堀りしてみたいと思います。

2-1 神の大いなる肯定

2-2 なぜ否定的想念が生じるのか

2-3 否定的想念の消し込みが難しい理由

2-1「神の大いなる肯定」へつづく

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