(訳注:この章のタイトルは「原因と結果」ではなく「原因と条件」であることにご着目ください。)
前章(第8章)では、相対的第一原因という表現を用いて、個の心の中の創造原理の働きを、一方では普遍的第一原因から、他方では第二原因から区別しました。相対的第一原因とは私たちの中に存在しているので、個の目的に向かって因果の連鎖を開始する力です。原因と結果の新しい連鎖を開始する力として、それは第一原因であり、個の目的に関わるものとして、それは相対的であり、したがって、それは相対的な第一原因、または個によって発現される第一次の因果律の力ということになります。この力を理解し、使うことが精神科学の全目的であり、それゆえ受講生の皆さんは原因と条件の関係を明確に理解する必要があります。この目的のためには、どんな詳しい説明よりも、簡単な図解が有効です。
火のついたロウソクを部屋に持ち込むと部屋は明るくなり、ロウソクを持ち去ると再び暗くなります。明るさと暗闇は両方とも条件であり、一方は光の存在から生じる肯定的なものであり、他方は光がないことから生じる否定的なものです。この単純な例から、すべての正の条件には、それとまったく反対の負の条件が対応しており、この対応関係は、同じ原因(ロウソクの火)に起因していることがわかります。したがって、すべての正の条件はある原因の積極的な存在から生じ、すべての負の条件はその原因の不在から生じると定義することができます。これは、精神科学において重要な役割を果たしているすべての「否定」の哲学的概念の基本であり、「悪とは否定的なもの、あるいは善の欠乏であって、それ自体は実質的な存在ではない」という言葉に要約されますので、よく理解しておく必要があります。
しかし、「条件」は、肯定的であれ否定的であれ、生じるや否や、次にはそれが「原因」となって次の「条件」を生み出し、これを無限に繰り返すことで二次的因果関係がつづいていきます。そして、外面的な感覚(五感)から得られる情報だけで判断している限り、私たちは二次的な因果関係のなかにあるのであって、過去から未来に向かって延々と続く因果関係の連鎖の一部の条件を見ているに過ぎません。この点から見れば、私たちは逃れることのできない鉄鎖の運命の支配下にあるといえます。なぜなら、五官は、相対的で有限なものを認識する器官であり、それを超えたものを知覚することはできないからです。(訳注:目には見えない世界にある第一原因がもとで、今、目に見える条件(状況・人生環境)が生じていることを知らなければ、条件を好転させることはできません。)そこから脱するための唯一の方法は、二次的原因の生じる領域から、条件として現れる前の創造エネルギーが存在する第一原因の領域へと上昇する以外ありませんが、実はこの第一原因の領域は私たち自身の内にあります。それが純粋な考え(思考)の領域です。私が第1章で心の二つの側面である“純粋な考え(思考)”とその現われである“形”を強調したのはこのためです。ある物事の思考イメージや理想的なパターンは、その物事に対する相対的な第一原因であり、それはいかなる先行条件にもとらわれない、その物事の霊的実体なのです。
目に見えるものはすべて目に見えない精神(spirit)に由来するということを理解するならば、私たちを取り巻くすべての創造物は、その出発点が思考イメージやアイデアにあることを示す確たる証拠となります。なぜなら、物質として形を取って現れる前の精神には、そのようなイメージの形成以外の働きはあり得ないからです。もし、これが精神の自己表現の方法であるならば、この概念を、神のスケールから、個別的存在である私たちのスケールに移すだけでよいのです。私たちの思考による理想的なイメージの形成が、このイメージの現象化の第一原因になります。神による第一原因の作用(例えば、宇宙の創造)と私たちによる第一原因の作用(例えば、健康や富の引き寄せ)の間には種類の違いはなく、違いはスケールの違いだけで、力そのものは同一です。そのため、私たちは意識的に第一原因を使っているかどうかを、常に明確にしておかなければなりません。この「意識的に」という言葉に注意してください。意識的であれ、無意識的であれ、私たちは常に第一原因を使っているからです。それゆえ、私は、神は純粋に主観的であるがゆえに、どのようなスケールであれ主観的精神に適用される法則のもとにあるという事実を強調したのです(訳注:主観的精神とは自分に印象付けられた思考を忠実に現象化しないではおかない精神のことです)。
私たちは、意識しているかどうかにかかわらず、常に何らかの考えを神に印象づけています。そして、物質的で有限な二次的原因の領域に捉われた習慣的な思考の結果が現在の条件や状況なのです。しかし、条件は決してそれ自体が第一原因ではなく、純粋な思考空間(第一原因の領域)から始まった因果律の一部に過ぎないことが示された今、私たちがしなければならないことは、考え方を逆転させ、思考を現実とみなし、条件や状況を、その思考が最終的な姿を現す前の単なる過程に過ぎないとみなすことです。それゆえ、私たちが意識的に明確な目的を持って第一原因を利用しているのかどうか、それを知ることが不可欠であり、その基準は次の通りです。
もし、目的の達成が過去、現在、未来の状況次第であると考えるならば、私たちは第一原因を利用しているのではなく、疑念、恐れ、有限の領域である二次的原因のレベルにいるのであり、それらの負の印象を普遍的な主観的精神に与えることで、それに対応する外的条件を構築するという避けがたい結果を得ることになります。しかし、二次的原因の領域が単なる一次原因の現れの領域にすぎないことを理解していれば、私たちは自分の目的が二次的領域におけるいかなる条件にも左右されることはないと考え、第一原因の絶対領域において目的とするアイデアあるいはイメージを形成し、それを維持することによって、その結果を明るい期待を持って待つことができることを知ることになります。
ここに、精神(spirit・思考・思念)が時間と空間から独立していることを認識することの重要性があります。理想というものは、未来において形成されるものではありません。それは、今ここで形成されるか、あるいはまったく形成されないかのどちらかなのです(訳注:思考があるかないかだけの問題です)。このような理由から、このテーマについて十分な知識を持って語ったすべての教師は、願望が目に見える形で具体的に実現するための不可欠な条件として、それがすでに精神的空間(霊的空間)において実現していることをイメージすることの必要性を聴講者に説きました。
このことを正しく理解していれば、目的を達成するための手段について心配し、あれこれ考えることは、まったく不要であることがわかります。終点がすでに確保されているのであれば、そこに至るまでのすべてのステップも確保されています。手段は、私たちの意識的な活動の小さな輪の中に、日ごとに適切な順序で自然と入ってきます。私たちは、恐れや疑い、熱狂的な興奮ではなく、冷静に、そして喜びをもって、それらに取り組めばよいのです。なぜなら、目的はすでに確保されており、目的の方向に向かって現れる手段に適切に対処することは、目的達成の一過程にすぎず、最終的な結果が得られることに疑いの余地はないからです。
精神科学は、怠惰ではない、まじめな働き手にその働きの成功を保証することで、すべての働きを不安と苦悩の領域から解放してくれます。それは本人が期待したとおりの形ではないとしても、本人の要求にさらに適した他の形で成功に導いてくれます。何か重大な決断をしなければならない時に、たまたま間違った判断をしてしまったとしたらどうなるのかが心配になるかもしれませんが、結果がすでに確約されているという前提上、あなたが間違った判断をすることはあり得ません。あなたの正しい判断は、目的を達成するために必要なステップの一つであり、それに至るまでの他の条件と同じです。したがって、軽率な行動をしないように注意しつつ、他の条件を正しい方向にコントロールしている同じ法則が、私たちの正しい方向における判断にも影響を与えてくれることを肯定することです。
よい結果を得るためには、自分が使っている偉大な非人格的な力(神)との関係を正しく理解する必要があります。それは知的であり、私たちも知的であり、この二つの知性は協力し合わなければなりません。私たちは、私たちを通してしかできないことを、神が私たちのためにやってくれると期待して、法に逆らってはいけません。したがって、私たちは、自分の知性がより大きな知性の道具として働いているという知識を持って、自分の知性を使わなければなりません。この知識があるからこそ、最終的な結果に対する不安を払拭することができるし、また、そうすべきなのです。
実際の実践においては、まず、神の心に印象づけるという明確な意図を持って、目的の理想的な概念を形成しなければなりません。この明確な意図こそが、その思考を単なるありきたりの空想の領域から脱却させます。そして、法則の理解のもと、思考に対する結果を冷静に期待して、必要なすべての条件が適切な順序でもたらされることを肯定しなければなりません。そうすれば、初期条件がすでに揃っているか、あるいはすぐに見えてくるという静かな確信を持って、日常の自分がなすべきことに取り組むことができるようになります。
すぐに結果の兆しが見えなくても、霊的な原型はすでに存在していることを知って安心し、望ましい方向を示す状況が現れ始めるまで待つことです。それは非常に小さなものかもしれませんが、考慮すべきはその方向性であり、大きさではありません。それを見たらすぐに、自分が絶対領域に蒔いた種(第一原因)の最初の萌芽と考え、状況が要求すると思われることは何でも、冷静に、興奮せずに行うべきです。そうすれば、後にこの行為が同じ方向へのさらなる状況につながり、気がつけば目的の達成に向けて一歩一歩進んでいることがわかるでしょう。このようにして、供給の法則の偉大な原理を理解することは、経験を重ねることによって、私たちを不安な考えや苦労の領域からますます完全に解放し、新しい世界に連れて行ってくれます。そこは、精神的なものであれ、肉体的なものであれ、私たちの持てるすべての力の有用な活用が、私たちの個性をありのままに花開かせ、したがって、健康と幸福の永遠の源となる世界です。
これを知れば、きっと、個と神との関係を支配する心の法則を注意深く研究するための、十分な動機付けとなることでしょう。