5-4-1-3.第3章「精神(神)の単一性」

さて、「精神(神)の単一性」とは何かを理解する準備が整いました。万物の根底にある起源としての精神とは、まだ特定の形に分化(個別化)していない未分化の普遍的な原初的な物質(原物質・神の光・霊子)に内在している知性です。この未分化の普遍的なる知性はけっして過去のものなどではなく、すべての存在の最も内なる本質の中に、いついかなる瞬間にも(すなわち今も)変わらずに存在するものです(訳注:宇宙に遍満している未分化の原初的物質が分化し、特定の形状をとったものが相対的な個の存在です。個になる前の未分化の状態であれ、個として分化した状態であれ原初的な物質そのものは同一であり不変です)。これを知ると、ある特定の形状(例えば自分)と他の形状(例えば他人)との間の相違の下には深い本質的な単一性があり(起源が一緒なのですから)、その単一性が、そこから生じる様々な個性の形状のすべてを分け隔てなく支える働きをしていることがわかります。

このすべてを生み出す霊的な物質の性質について考えを深めていくと、それは空間の一部分に限定されるものではなく、空間そのもののように無限でなければならず、それが存在しない空間部分があるという考えは想像し得ないことがわかります。すなわち、この原初的で全てを生み出す生ける精神は、無限なるものと同等でなければならず、それゆえ、普遍的でないもの、あるいは無限ではないものと考えることは決してできません。この事実は私たちの直観とも合致するものです。

さて、「無限は単一でなければならない」というのが数学的真理です。2つの無限があるということはあり得ません。それではどちらも無限ではなく、それぞれが他によって制限されてしまいます。また無限は分けることもできません。無限とは数学上、本質的に単一なるものだからです。この点はいくら強調しても、し過ぎるということはありません。というのは後述するようにここから最も重要な結論が導かれるからです。

単一なるものとは掛け算も割り算もできないものです。なぜなら、どちらも次に述べるように単一性を損なうことになるからです。掛け算では、元の単体と同じ規模の単体が複数でき、割り算では、より小さな規模の単体が複数できます。また、複数の単体ができれば、その性質は単一性ではなく、多様性になります。それゆえ、もし私たちが、個としての外面的な性質を超えて、その個性を生み出すものの最も内奥にある生命の原理にまで踏み込もうとするならば、私たちは、多様性を有する個の存在という概念を超えて、普遍的な存在の単一性という概念に踏み込むことになります。これは一見、哲学的な抽象的議論に見えますが、実践的な成果を求めるのであれば、受講者の皆さんはこの抽象的な議論の結論が精神科学の実践的な成果の基礎になることを理解しなければなりません。

さて、単一性について認識すべき重大な事実は、それは単一であるがゆえに、それはどこにあっても、それ全体が単一でなければならないということです。もし、私たちが、空間の広がりに心を奪われ、単一なるもののある部分(例えば、自分)がここにあり、別の部分(例えば、他人)があそこにあるなどと考えた場合には、その瞬間に、私たちは単一なるものの一部分に注意を向けることになり、元なるものの単一性から、より小さな部分の多様性へと意識を移したことになります。こうなると、私たちは相対的なもの、つまり2つ以上の実体のあるものの関係を意識することになるため、絶対的で純粋な単一性の領域に留まることはできません(訳注:このような理解の仕方をすると、それ以降は有限の軛のもとで因果の理法が展開していくことになります)。

全てのものの起源である生命の原理が無限である以上、それは純粋に単一なるものであり、その結果、生命の原理はどこにあっても、それは全体として存在しなければならないということは、数学的にも証明される必然的な結論です。しかも、無限であり、何らの制限も受けないものであるがゆえに、それは普遍的に存在します。すなわち、万物の起源となる精神は、空間のすべての点に、常に存在しています。かくして、その精神はどこにでも、すべての瞬間において存在するものであるがゆえに、私たちが思考を発すればその瞬間にその一点に凝集されることになります。

これは、すべての存在(万物)の基本的な事実です。そのために私は、精神と物質との間の関係を、考え(イデア・思考)と形状(物質)の間の関係として、前者は時間と空間の要素がまったくない絶対的なもの、後者はそれらの要素に完全に依存する相対的なものと述べて、正しい理解の道筋を立てたのです。この重大な事実は、純粋な精神(神の生命・神性・仏性・内なる神)は、肉体があってもなくても、常に絶対的な領域に存在しており、ここから、精神面であれ、肉体面であれ、相対的なすべての存在(万物)が流れ出てくるということです。純粋な精神に関するこの事実を知ることは、意識的に行うすべての精神活動の基礎であり、したがって、この事実の認識度が増大するのに比例して、思考の働きによって外面上の結果(富や豊かな生活環境)を生み出す力も大きくなります。

その単一性と普遍性をしっかりと認識することができれば、私たちはいつでもどこでも、思考の力で未分化の精神をある一点に集中させることによって、実現したいと思うあらゆる願望を現象化させることができるようになります。(精神科学による現実的な成果を得るうえでの)この結論の重要性は、あまりにも明白であり、これ以上の説明は不要でしょう。

純粋な精神とは、時間と空間に縛られることのない生命原理です。それは未だ個として分化していない純粋な知性です。純粋な(絶対的・普遍的)知性として、それは無限の応答性と感受性を持っています。また、時間や空間との関係を持たないため、それは個としての人格を持ちません。それゆえ、それは私たちが望むいかなる人格をも受け入れることができるのです。これらは、精神科学者が仕事をするうえで忘れてはならない重大な事実であり、受講者の皆さんは、その意義と、その応用の結果に必然的に伴う責任について深く考え、正しく理解しておく必要があります。

第4章「主観的精神と客観的精神」はこちら

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