神は、それ自体、何でなければならないか。それが私たちの目の前にある問題です。まず、疑う余地のない事実から始めましょう。それは創造的な力です。もしそれが創造的な力でなければ、何一つ存在することはできなかったでしょう。したがって、その目的、あるいはその本質は、個々の生命を存在させ、それらの生命に適した環境を与えることでなければならないことがわかります。
さて、このことを本質とする力は、親切な力に違いありません。この生命の精神そのものである神が個々の生命で表現しようとしているその意図は、「それらが生命を持つように、またそれらが生命をより豊かに持つように」ということ以外考えられません。その逆を仮定すると、矛盾が生じます。なぜなら、そのような仮定は生命の精神そのものとしての神が自分自身の逆を表現しようとしていると考えることになるからです。生命の精神である神が生命の増進以外のことを意図しているとは到底考えられません。
この事実は、私たちが神から創られた存在としての自分の立場を不完全にしか理解しておらず、その結果、唯一無二の永遠の生命である神と意識的に一体化することができないために、まだ十分には認識できていないかもしれません。しかし、私たちの神との意識的な一体感がより完全なものになればなるほど、神の生命を与えんとする本質がより明らかに認識できるようになることでしょう。この宇宙に遍満している全ての存在を創り出している神の本質が肯定的で純粋に生命を与えんとするものであることは紛れもない真理です。
さて、では神の持つこのような様々な個別的存在の生命をより豊かにしたい、つまり、より強く、より明るく、より幸福にしたいという本質的な願いを、何と呼べばいいのでしょうか。これが「愛」でないとしたら、他に何と呼べばよいか分かりません。それゆえ、私たちは哲学的に「愛」こそが創造的な神の本質であるという結論に導かれます。しかし、表現は形なしでは不可能です。では、愛はその表現手段としてどのような形式を取るべきでしょうか。一つの仮説として、憎しみや嫌悪を抱かせるような形式では、愛の自己表現にはなりません。それゆえ、愛に対する唯一の論理的な形式はけっして憎悪や嫌悪感を与えることのない美ということになります。そして、美がまだ普遍的に現れていないのは、生命がそうでないのと同じ理由からです。すなわち、自分は神から命を与えられた存在であり、その本質は愛であり美であるという真理を万人がまだ認識していないからです。しかし、「美の原理」が神に内在していることは、私たちの住む世界にあるすべての美的な存在によって証明されています。
以上の考察から、神に内在する性質は、二つの極性、すなわち能動的な愛と受動的な美の永遠の相互作用にあるに違いないことがわかります。そして、これこそが、私たちの魂に内在している特別な力なのです。この力の目的を認識したとき、私たちは直感、想像力、意志をどのように発揮すべきかを知ることができるようになります。この愛と美という神の力との一体化に私たちの思考を習慣的に向けることによって、直感はこの最高の源から発せられる観念にますます敏感になり、想像力はこの観念に対応するイメージを形成することができるようになります。一方、肉体面では脳と身体を構成する分子が、生命の原理の精妙で健全な外への現れの霊的プロセスにますます完全に適応するようになります。こうして、人間は心身ともに生命の至高の源である神と一体となり、聖パウロの言葉を借りれば、自分を創られた神の姿に似せて、日ごとに自分を新生させていくのです。
私たちが「愛」と「美」という根源的なものをより身近に感じることで、心の平安、身体の健康、物事の理非弁別、事業の遂行力というものが生まれてくるのです。そして、愛と美の精神が無限の可能性を持って作用しているという理解が高まるにつれて、私たちの直感はより広範囲に働き、それに伴って活動の領域も広がっていきます。一言で言えば、私たちの個性は成長し、以前にも増して真の自分自身になりつつあることを発見するに至るのです。
従って、どうやって自分を最も完璧に訓練して、すべてを包含する生命の精神(神)との真の関係を認識するかはこの上なく重要な問題です。しかし、それはまた、大まかな輪郭を簡単に述べるだけでも一巻を要するほどのボリュームであり、したがって、私はここでそれに立ち入ることはしません。私の現在の目的は、私たち全員が知っている肉体・心・精神の三要素の素晴らしい統一を実現する原理についていくつかのヒントを提供することだけです。
私たちはまだ、これら三要素の統一を実現する道のりの始まりにいるにすぎませんが、私たち以前にその道のりを踏みしめた人々がおり、彼らの経験から私たちは何かを学ぶことができます。そして、その中には少なくとも一人、最もキリスト教的な薔薇十字団の輝かしい創設者がいます(訳注:その創設者とはクリスチャン・ローゼンクロイツ/ドイツ人・1378~1484年です)。この偉大な知能の持ち主は、若い頃エルサレムに行くつもりで出発しましたが、旅の順序を変えて、まず神秘の国アラビアの象徴的な都市ダムカルに3年間滞在し、次に神秘の国エジプトに約1年、そして神秘の国フェズ(トルコの都市)に2年間滞在しました。そして、この6年の間に、これらの国々で身につけるべきことをすべて学び、故郷のドイツに戻り、滞留先で得た知識をもとに、R.C.友愛会(薔薇十字団)を設立し、その指導のために神秘的な書物『Mの書』と『Tの書』を著しました。
そして、自分の仕事が完了したことを知ると、自分の全知識を「イエスは私たちのすべて」という言葉に集約して、自分の自由意志で肉体を捨てました。それは、老衰や病気や普通の死によるものではなく、生命の精神の明白な指示によるものであったと記録されています。
そして今、彼の信奉者たちは、最高傑作を完成させる「芸術家イライアス」の到来を待っています。「読む者をして理解せしめよ」