否定的想念の発生原因については前項で見たとおりですが、否定的想念を出したくない、消込みを図りたいと思ってもそう簡単にはいかないことを多くの方が実感しておられるのではないかと思います。その理由としては次のようなことが挙げられます。
ⅰ. 心にも慣性の法則が働く
「車は急には止まれない」という言葉がありますが、それは慣性の法則が働くからです。これと同様、心も車と同じで、急には止めたり、変えたりはできません。幼少時からの成長の過程や、日々の生活の中で思ったり考えたり感じたりしたことが、消え去ることなく心の奥の深層意識に沈み込み蓄積されているからです。よく絶体絶命の瞬間に過去の記憶が走馬灯のように一瞬にして目の前に表れたという話を聞くことがありますが、これがその証拠です。生きた時間に応じて、30歳であれば30年分の蓄積があり、50歳であれば50年分の蓄積がありますので、変えようと表面意識で決意したとしても1年や2年で変わるものではないということです。しかも驚くことに、習慣的に考えていることは脳内にもそのパターンが形成されることが科学的に解明されています。そして、このパターンを消し去るには、それと反対の概念を思考し続けなければならないということです。この点に関してトーマス・トロワードは『The Edinburgh Lectures on Mental Science』で次のように述べています。
「表面意識の働きが習慣化されると、それは深層意識に定着し潜在意識に伝わって第一原因となります。ワシントン大学のエルマー・ゲイツ教授は、脳形成の研究において、このことを生理学的に実証しています。彼は、すべての思考は脳の物質にわずかな分子変化を生じさせ、同じような思考を繰り返すと、同じような分子変化が繰り返されて、ついには脳内に物理的な経路が形成されるということ、そしてこの経路は思考の逆行によってのみ消滅されると説いています。このように「思考の型」は文字通りのものであり、ひとたび確立されると、今度はこの型が、型に見合った宇宙のエネルギーを自動的に引き寄せて、表面意識に影響を及ぼします。表面意識の作用によって習慣が形成されると、今度はその習慣が表面意識に作用することになるということです。だからこそ、自分の思考をコントロールし、好ましくない思考から自分を守ることが重要なのです。」<『The Edinburgh Lectures on Mental Science』第14章「肉体」の私訳より>
そして、この事実を証明するような事例がジョセフ・マーフィー博士の『眠りながら成功する』(大島淳一訳 産業能率大学出版部刊)のP.20~に紹介されています。それはイタリア人でオペラ歌手のエンリコ・カルーソー(1873~1921)がある日舞台に出る直前に急に「声が出ないのではないか」という強烈な恐怖心に襲われた話です。おそらく、これは表面意識から深層意識に送られ、蓄積されていた恐怖心が登壇前の緊張感によって活性化したものと推測されます。エンリコ・カルーソーについて、『ウィキペディア』に次の記述があります。
「1909年に咽頭癌の手術を受けた後は高域の発声に以前の輝きを失った、とする評もあるが、それを力強さを増した中低域によってうまく補った」<『ウィキペディア』より>
幸いなことに彼は表面意識と深層意識の関係性を理解していたため、この危機を無事乗り越えることができました。この話は私たちにもよくある「もしかしたらよくないことが起きるのではないか」といった取り越し苦労的な否定意的想念を持つことの怖さを教えてくれる事例でもあるかと思います。
ⅱ. 現状に目を向けた発想から抜け出せない
私たちは肉体に宿り、目・耳・鼻・舌・皮膚の五官を頼りにこの物質的な世界で生きているため、どうしてもこの世的な事象に捕らわれた思考に偏りがちです。偏りがちというよりも、真理を知らなければ、普通はこうした思考しかできないというべきかもしれません。例えば、本当は軽自動車ではなくベンツに乗りたいと思っても、「年収や預金通帳の残高から見て、ベンツは到底買えない」と簡単に結論付けるのではないでしょうか。この結論は常識的に見れば、至極まともな判断といえますが、しかし、これが、有限のこの世的な事象に捕らわれた否定的思考なのです。なぜなら、神の属性には無理とかできないといった「諦め」はないからです。そして、この思考パターンから抜け出さない限り、現在の不満足な状態が持続するだけです。「思いがすべて」であり、「思考は物」なのですから。ところで、筆者もまだできずにいるのですが、これを『引き寄せの法則-エイブラハムとの会話』の中でエイブラハムが述べている、次のような思考パターンに転換できるかどうかが問題です。
「わたしは人生のすべての面で自分にはなんの制約もないことを認識している。預金残高による制約はないし、人生を生きるうえでの選択にも経済的な制約はないと知るのは、実に気分がいい。重要なのは、「わたしはその経験がしたいかどうか」ですべてを決断することだ。「その経験をする余裕があるかどうか」で決断するのではない。なぜなら、自分は磁石で、いつでも自分が選ぶとおりの豊かさ、健康、人間関係を引き寄せられることを知っているから。」<『引き寄せの法則-エイブラハムとの対話』吉田利子訳 SBクリエイティブ株式会社 P.75>
確かに真理はエイブラハムのいうとおりであり、そして、この転換は十分に可能なことでもあります。ただ、表面意識での理解を深層意識にまで落とし込み、現在のこの世的事象にもとづく思考パターンを書き換えるのにそれ相応の時間がかかるということです。この時間はどれほど真剣に書き換えようとしているかといった意志の力によって決まりますが、私たち凡人は最初の決意はどこへやら、いつの間にかこの決意を忘れてしまいがちです。真理を知ろうとしない、知っても真剣に実践し続けようとしないところに否定的想念の消し込みが難しい理由があるといえます。しかし、真理は不変であり、「原因と結果の法則」は私たちを裏切ることがありませんので、真理の理解と実践の努力が継続できれば転換は可能であり、その先にはすばらしい新たな世界が待っていると断言できます。
ⅲ. 肉体に付随する本能は生きている限り消えることはない
本能は正確には肉体と霊体との間にある幽体に付随しているというべきかもしれませんが、いずれにせよ肉体を持ってこの世に生きている以上、私たちは睡眠欲、性欲、食欲といった本能と無縁ではいられません。睡眠欲は寝ている間にあの世と交流し、同時に霊的エネルギーを補給するために必要なものです(と思われます)。ちなみに、天国的な夢か地獄的な夢かで、自分の深層意識の想念をある程度知ることができるのではないでしょうか。また、近々起きることを夢で知らされることもあるようです。性欲は人霊の魂の修行場であるこの三次元世界において肉体人間の存在を絶やさないために必要なものであり、食欲は霊体の乗り物である肉体を維持したり、その活動エネルギーを得たりするために必要なものです。このように本能とは人霊の無限の進化を願っておられる神、もしくは神の化身ともいえる至高の存在によって魂の修行の場を維持させるために定められたものと考えられますので、この世の神の一代理人である私たち人間が完全に消し去ることのできるものではないといえます。それゆえ、知性と理性を失えばこの欲に引きずり回されることになりかねません。そもそも神の属性にこの三つの欲はありませんので、本能は価値中立的なものと考えることもできますが、どちらかといえば否定的想念に近いものかも知れません。唯一、適切なコントロール下に置かれた場合に限り、それは否定的なものではなくなるということです。特に、アルコールが入れば表面意識が影を潜め、本能が頭をもたげてきますので、この点にも注意が必要です。私たち人間には動物的な自己保存欲求の温床である本能が内在している事実を理解して、つねにそれを正しく制御する意識を持ち続けなければ、否定的想念の消し込みは難しいといえます。
ⅳ. この世は悪霊、不成仏霊の憑依を受けやすい
私たちの日々発する思いをつぶさにチェックすれば、善念あるいは善意のみならず悪想念もけっこう混じっているのではないでしょうか。前項で見たように、私たちが悪想念を発する要因にはいろいろなものがあるからですが、この悪想念を生み出す元となる自己中心的な心の働きを仏教的には「己心の魔」と呼びます。この「己心の魔」をしっかりと抑制して暴れさせないようにしなければ大変なことになります。なぜなら、波長同通の法則によって悪霊や、まだ霊界に移行できずにこの世の空間に漂っている地縛霊などの不成仏霊(幽霊の正体)を引き寄せてしまいかねないからです。
あの世のみならずこの世でも波長同通の法則は100%働いています。その理由は、思考は空間や時間の制約を受けることがないからです。ここに真理を知らない「無知」の怖さがあるといえます。悪想念を発すると、その波動に反応して悪霊等がすぐ寄ってきます。この事実を知っていれば、心をコントロールして悪霊等の憑依現象を防ぐことが可能ですが、知らないと悪想念が増幅されてしまうからです。恥ずかしながら筆者は一再ならず経験したことがありますが、プライドを傷つけられたり、腹を立てたりしたことのある相手や事件を、ふと思い出した瞬間に、悪感情が爆発的に湧き上がってくることがあります。これなどはまさにあの世の阿修羅霊と同通して、悪しき波動の共振現象が起きた結果といえます。憑依によって自分が自分ではなくなっているということです。そして、悪霊等を呼び込んだのは他ならぬ自分のせいであるのは間違いないものの、虎視眈々と憑依先を探しているものたちがいるのもまた事実です。これらの悪しき霊たちが現に存在していることも否定的想念の消し込みが難しい理由の一つに挙げられるかと思います。これに対処するには、つねに自分の心の動きを冷静かつ客観的にチェックし、否定的想念が出たと思えばその都度それを抑制し、肯定的想念に切り替える努力をするしかありません。