2-2.なぜ否定的想念が生じるのか

なぜ否定的想念が生じるのか、それを一言でいえば、私たちが唯一無二にして絶対的存在である神と異なり、神から創られたる相対的存在であるからです。相対的存在とは、この地球に限ってみても、数多くの植物、動物、人種から分かるように複数性と多様性を有する存在です。それゆえに、その他大勢の中の自分という認識から抜け出すことはどうしてもできません。この自己認識に対して複数性がどのように作用するかといえば、それは他者との比較であり、優劣の判定です。ここに劣等感、嫉妬心、あるいは優越感、慢心という否定的想念が生じる隙が出てきます。また、多様性がどのように作用するかといえば、それは好き嫌いの感情として表れます。親近感を覚える相手に対しては好意と依怙贔屓の感情、違和感を覚える相手に対しては、悪意と拒否感あるいは排他の感情が生じます。さらには、私たちは「心の王国」という言葉があるように、神から何を思うも自由という100%の自由性を与えられていますが、ここにも悪が発生する要因が潜んでいます。それは自由と自由の相克による敵対心であり、価値観や信念の違いによる闘争心です。これらの心の働きのいずれもが神の属性にはないもの、すなわち否定的想念といわれるものです。

また、肉体にまつわる本能の影響もあります。本能に関してはいろいろな考え方や定義があるのかもしれませんが、当サイトではごくシンプルに動物が共通に持っている睡眠欲、性欲、食欲の三つの欲を本能と称することにします。この本能の内、睡眠欲は他者との競合関係がないため否定的想念が生じることはあまりありませんが、性欲や食欲はその対象や資源が無限にあるわけではないため、他者との取り合いになるときに、ライバルへの攻撃性といった悪想念が発生します。さらに、性欲に関しては、その対象相手が自分の自由にならないときに、暴力的手段によるだけでなく、睡眠薬を用いた騙しのテクニックを思いついたりもします。

さらには、生活環境における負の情報洪水による汚染も考えられます。私たちは家庭環境、教育環境、職場環境、そして社会環境によって知らないうちに負の暗示を受け続けているといえ、これが深層意識に沈殿していって否定的想念の温床となっている可能性が大いにあります。

この事実についてジョセフ・マーフィー博士はその著書『眠りながら成功する』の中で次のように述べています。

「私たちの大部分は幼年時代から悪い暗示を与えられてきております。それをこばむ方法を知らないので、私たちは無意識的にそれを受け入れております。悪い暗示の例をいくつかあげてみましょう。「おまえにはできない」「おまえなんかけっしてロクな者になりやしないよ」「そんなことをやっちゃいけない」「やりそこなうぞ」「チャンスがなかったね」「みんなおまえが悪いんだ」「そりゃダメだ」「君が何を知っているかではなくてだれを知っているかが問題なんだ」「世の中はダメになるよ」「何になるのかね。だれだって問題にしやしないよ」「そんなに努力したってムダだ」「もう君は年をとりすぎている」「事態は悪化の一路をたどっている」「人生は終わりのない退屈で骨のおれる仕事だ」「愛なんておれに関係ないや」「どうしたって勝てっこないよ」「まもなく君は破産だよ」「注意しろ。ヴィールスがうつるぞ」「人間なんか信用できるもんか」などなどです。

  もしも大人になってから、再調整療法となるような建設的な自己暗示を使わないと、過去においてあなたに刻み込まれた印象のおかげで、個人的生活でも社会的生活でもあなたを失敗させるような行動の型が作られてしまいます。自己暗示とは、もし放っておくならばあなたの生活の型をゆがめ、よい習慣の発達を妨げるような膨大な量の否定的な言葉の条件づけから、あなたを解放してくれる手段なのです。」<『眠りながら成功する』大島淳一訳 産業能率大学出版部刊 P.40>

さて、否定的想念の発生原因について、私たちが相対的存在であること、肉体にまつわる本能があること、そして社会環境からの負の情報洪水による心の汚染を見てきましたが、これ以外に忘れてはならない原因があと一つ挙げられます。それは、私たちはどうしても現在の自分の生活状態をもとに物事を考えがちであることです。私自身もこれを改めようと努力をしてはいますが、このような思考習慣からなかなか抜け出せずにいます。これがどのような悪影響を持っているかといえば、「これこれこうだから、これはできない」といった有限の発想に縛られることにあります。このような有限の発想自体が否定的想念の一種であることを知る必要があります。現状を見て思考するということは主として今現在、不足感や不満足感を覚えている対象に関心を向けているため、引き寄せの法則によって相変わらずそのような事態を引き寄せ続けることになります。この点については『精神科学に関するエジンバラ講義』第9章「原因と条件」の次の一節が参考になるかと思います。

「思考という第一原因の最初の現れである「条件(この世の事象)」は、肯定的であれ否定的であれ、生じるや否や、次にはそれが「原因」となって次の「条件」を生み出し、これを無限に繰り返すことで二次的因果関係がつづいていきます。そして、外面的な感覚である五感から得られる情報だけで判断している限り、私たちは二次的な因果関係のなかにあるのであって、過去から未来に向かって延々と続く因果関係の連鎖の一部の条件を見ているに過ぎません。この点から見れば、私たちは逃れることのできない鉄鎖の運命の支配下にあるといえます。なぜなら、五官は、相対的で有限なものを認識する器官であり、それを超えたものを知覚することはできないからです。そこから脱するための唯一の方法は、二次的原因の生じる領域から、条件として現れる前の創造エネルギーが存在する第一原因の領域へと上昇する以外ありませんが、実はこの第一原因の領域は私たち自身の内にあります。それが純粋な思考の領域です。私が第1章で心の二つの側面である“純粋な思考”とその現われである“形”を強調したのはこのためです。ある物事の思考イメージや理想的なパターンは、その物事に対する相対的な第一原因であり、それはいかなる先行条件にもとらわれない、その物事の霊的実体なのです。」<『The Edinburgh Lectures on Mental Science』第9章「原因と条件」私訳より>

以上見たように、否定的想念が生じる原因はいろいろ考えられますが、肯定的想念であるか、それとも否定的想念であるかの一番分かりやすくてシンプルな判別基準は「神の属性にあるか否か」です。否定的想念を発すれば、原因と結果の大法則によって負の反作用が必ず返ってきますので、知性と理性で抑制する意識を持つこと、また、現状から発想するのではなく、つねに自分の理想を思考イメージとして描く習慣を身につけることが大事といえます。そして、頻繁に接する機会のあるマスコミやネットの負の情報に対しては、自分自身の正負の判別センサーでフィルタリングしたり、興味本位でそれらの情報を見続けたり、読み続けたりしないことが肝要といえます。特に、映像は文字ベースよりも何十倍も暗示効果が強いため注意が必要です。

2-3「否定的想念の消込みが難しい理由」へつづく

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