5-4-1-15.第15章「魂」

心の作用に対する肉体の適応を垣間見たところで、次に、心自体も同様に、さらに高い力の作用に適応した器官であることを理解しなければなりません。ただし、それは心の機能としての適応です。目に見えない力と同じように、私たちが目に見えない心について知ることができるのは、それが何をするのかを観察することによってです。しかし、私たち自身が他ならぬこの心であるため、この観察は自分の意識のありさまの内部観察であるという違いがあります。このような内部観察によって、私たちは私たちの心の特定の能力を知ることになります。その働きのプロセスについては以前(p.159-160)詳述しました。しかし、私が今注目したい点は、これらの能力は常にそれらを刺激する何かの影響のもとで働くということです。この刺激は知覚器官を通して外部からくることもあれば、物理的領域では知覚されない何らかの意識によって内部からくることもあります。そして、この内、内部からくる知覚の源を認識することも、精神科学の重要な一分野になります。なぜなら、この内的な知覚から始まる心の働きも、外的な事実の認識から始まるものとまったく同じくらい正確に、物理的な肉体に影響を及ぼすからです。したがって、これらの内的な知覚の制御と正しい方向付けにも最初の段階からしっかりと対処する必要があります。

最も直接的に関係する内的な知覚と能力は直観と想像力ですが、完全に自然発生的なものである直観を、どうすれば意志の支配下に置くことができるのか、最初は理解しがたいことでしょう。もちろん直観の自然発生性を邪魔することはできませんし、もしそれが自然発生的でなくなれば、直観でなくなってしまいます。直観の役割は、いわば無限領域からのアイデアをとらえて、それを心に提示し、その裁量で処理させることです。私たちの精神構造において、直観は始発点であり、したがって、直観が自発的に機能しなくなるということは、直観がまったく機能しなくなることを意味します。しかしながら、一連の観察者の経験より、直観をある特定の方向への感受性を高めるように訓練することはできることが分かっています。そして、その方向の選択は個人の意志によって決定されることも分かっています。

直観が最も働きやすいのは、私たちが日ごろ最もよく考える分野に関してです。この事実は、前章(第14章)で述べた通り、生理学的な対応関係により、思考の対象となっている観念に応じた分子的な振動流を伝達するのに適合した脳内経路が物理的に形成されることによるものと説明できるかもしれません。もちろん、観念そのものが分子の変化によって引き起こされるのではなく、観念が分子の変化を生じさせる原因であることを忘れてはなりません。この思考作用の物理的作用への変換において、私たちは、精神の働きである思考が物質へと転化する(現象化する)という永遠の神秘に直面することになります。しかも、最も見慣れた密度の非常に高い状態の物質と比べると、精神的な物質とでも呼びたいほどに密度が希薄な状態にまで遡ったとしても、それは物質であって思考そのものではありません。なぜそう言えるかの判断基準は、「振動」という言葉にあります。どんなに微細な物質であっても、その運動は粒子の振動によって始まります。振動とは一定の長さ、振幅、周期性を持った波であり、それは空間と時間の中でしか存在し得ません。すなわち、振動とは計測が可能なものであるということになりますから、それは精神ではなく、精神の乗り物の一つに過ぎないと確信できます。したがって、私たちが物質についての分析をどこまで遡ったとしても(この線上において、多くの知識が得られはしますが)それは、霊的な力または思考力が原子の振動に変換されている過程を見ているに過ぎません。すなわち、アイデアの起源を脳内の分子の変位に求めてはならないということです。しかし、先に述べた精神的なものに対する物理的なものの反応によって、脳の灰白質に思考回路が形成されるとある種のアイデアの受容が容易になるということは言えます。直観が流入するとき、脳の上部の働きを実際に感知する人もいます。その感覚は、脳の領域が一種の拡張をするようなもので、弁や扉が開くのに例えられるかもしれません。しかし、意志を行使してこの弁を開こうとするような、生理的手段による直観引き入れの試みは、脳に有害と思われるので避けるべきでしょう。東洋においては、このような方法を提唱しているものもあるようですが、不自然な強制力を用いて心を操作しようとするのではなく、心が自らの要求に適した方法で物理的な経路の働きを調節することを信頼した方がよいでしょう。この種の研究において、私たちが忘れてはならないのは、心の開発は常に完全に自然な成長によるものであって、どの部分であれ不当に負担をかけることによってもたらされるものではない、ということです。

しかし、直観が最も自由に働くのは、私たちが最も習慣的に思考を集中させている方向であることに変わりはありません。実際にやってみると、特定の方向への直感を養うには、具体的な事柄を考えるのではなく、その特定の方向の抽象的原理を瞑想する方が最も良い方法であることがわかるでしょう。おそらくその理由は、具体的な事柄は特定の現象であり、ある限定された条件の下で働く法則と関係があるのに対し、法則の原理そのものは特定の条件によって限定されることはないため、法則の原理を習慣的に瞑想すれば、無限の領域を直観の源にしてくれるからでしょう。いずれにせよ、理論的な説明はともかくとして、どの方向であれ抽象的な原理を明確に把握することは、その特定の方向での直観を素晴らしく速める効果があることがわかるでしょう。

このように直観を意図的に用いることができることの重要性は言い尽くすことができません。なぜなら、もし精神の最高段階(神)と共鳴できるように調律できれば、無限の知識への扉を開くことになるからです。直観はその最高の働きにおいてインスピレーションとなります。古代の深い思想家たちによって何千世代にもわたって遺された基本的真理と最高の神秘の偉大な記録は、始原の神についての彼らの真剣な思考が、神への敬虔な崇拝と相まって、彼らの直観力となり、宇宙の進化と個人の進化に関する宇宙の最高の真理に関する最も崇高なインスピレーションを得ていたと仮定しなければ説明することができません。

このような最高の神秘を説明する記録の中で、三つの記録が傑出しており、すべてが同じ一つの真理を明かすものであり、それぞれが他の記録に光を投げかけています。この三つとは、聖書、大ピラミッド、一組のトランプカードです。不思議な組み合わせだと思われるかもしれませんが、このシリーズの別の巻で、この私の発言を正当化できるようにしたいと思っています。この三つの記録をここで取り上げたのは、方法が大きく異なるにもかかわらず、これらの記録が示す原理の統一性が、直観のやってくる方向が、その特定の方向に心を開く個人の意志によって大きく左右されることの立証となるためです。

直観と密接な関係にあるのが、想像力です。想像力とは、深く考えることなくすぐに消え去るような空想ではなく、私たちが心をそこに留めることのできるイメージを形成する力を意味します。これらのイメージは、私がこの本の前半で述べたように、それ自身の存在領域で普遍的な引き寄せの法則を作用させる核となり、成長の原理へとつなげます。直観と想像力の関係は次のとおりです。まず、直観が、すべてのものの源泉である大いなる普遍的精神(神)からあるアイディアを受け取り、その概念を想像力に提示します。次に想像力がそれを明確な形にして、心の目に鮮明に映じさせ、それに私たちが思考を集中させると、それは生き生きとしたものになります。その結果、私たちの人格なるものがそのイメージに吹き込まれて、普遍的法則(神)が特定の個に対して具体的に作用するための個人的要素の提供となるのです(原著者注:私の『精神科学に関するドア講義』を参照されたい)。

このように、私たちの思考が特定の心的イメージに留まるかどうかは、私たち自身の意志にかかっており、私たちの意志の行使は、直観と想像力から得られた心的イメージを弱めることも強めることもできる自分の力に対する私たち自身の信念にかかっています。そして、この自分の力に対する私たちの信念は、最終的には、すべての力の源である神と私たちとの関係に対する認識にかかっています。というのも、私たちの人生は、肯定的であろうと否定的であろうと、神に対して私たちが持つ概念からその全体的な形、調子、色を得ているのは不変の真理であるからです。そして、そのプロセスは今述べたとおりです。

このように、私たちの直観は想像力に関連しており、この関係は、先に述べた分子振動の循環に生理学的に対応しています。この循環は、脳の高次の頭頂部で始まった後、客観的精神の物理的経路である随意神経系を流れ、主観的精神の物理的経路である交感神経系を通って戻り、こうして回路を完成させてから前頭葉に復活して、特定の目的に適した明確な形態に意識的にモデル化されます。                            

このように、直観と想像力の両方の働きを制御する意志の力を、決して見失ってはなりません。なぜなら、このような中心的な意志の力がなければ、私たちは個性を失ってしまうからです。宇宙の進化の究極の目的は、至高の精神(神)の生命の流れの適切な乗り物として創られた私たち個人の意志を進化させることであり、至高の精神(神)は今や個人との意識的結合を通じてのみ創造過程をその最高段階にまで進めることができるのです。というのも、これが「普遍的精神(神)はいかにして個人や特定のものの平面(相対的領域)上で十全に作用することができるのか」という大問題の唯一の解決策であるからです。

ここに進化の究極の目的があり、この実現は私たちがこの究極の目的を認識し、それに向かって努力することにかかっています。これが私たちの精神科学研究の偉大な最終到達点であるべきです。肉体(Body)の構造と魂(Soul)の能力には対応関係があり、魂(Soul)の能力と万物創造の精神(Spirit)の力にも同様の対応関係があります。他のすべての特定の乗り物と同様に、私たちはそれが何の力のためなのかを理解しない限り、その乗り物の性質を正しく理解し、使用することは決してできません。

では、最後にその力の本質を簡潔に考えてみることにしましょう。
(訳注:この内容は最終章である第16章「精神」に示されています。)

第16章「精神」はこちら

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