受講者の皆さんの中には、精神的な作用が物質的なものに影響を与えるということを理解するのが難しい人もいます。しかし、これができなければ、精神科学というものは存在しません。精神科学の目的は、身体と環境の両方の状態を改善することであり、最終的に目指すものは、常に、目に見える具体的な形でそれを現わすことなのです。それゆえ、目に見えるものと見えないもの、内なるものと外なるものが実際につながっていることを確信することは、私たちの研究課題における最重要ポイントのひとつといえます。
そのような内(精神)と外(物質)のつながりが存在するということは、「いかにして万物が存在するようになったのか」という問いに対する形而上学的な議論によってすでに証明されています。また、私たちを含む被創造物全体の存在自体が、この偉大な真理の証明です。しかし、多くの読者にとって、単に抽象的な議論だけでは説得力に欠けるでしょうし、少なくとも、それがより具体的なものによって裏付けられれば、説得力が増すのは間違いありませんので、そのような読者のために、肉体(物質)と精神の対応関係について、いくつかのヒントを挙げておくことにします。このテーマの範囲は非常に広く、私が自由に使えるスペースも限られていますので、いくつかの示唆に富む論点に触れることしかできませんが、それでも、抽象的な議論の背後にある事実を示すには十分と考えています。
さて、私が見た中で最も説得力のある証明の一つは、フランスの著名な科学者、故イポリット・バラデュック博士が発明した、彼が“生命の流れ”と呼ぶ力の作用を示す「バイオメーター」という小さな器具です。彼の理論によれば、この力は、その実際の性質が何であれ、普遍的に存在し、物理的な活力の流れとして永続的に作用し、あらゆる物理的な有機体の中を多かれ少なかれエネルギーを持って流れ、少なくともある程度は人間の意志の力によって制御することができるというものです。この理論は一から十まで非常に緻密なもので、バラデュック博士の著作に詳しく書かれています。1年前に彼と話したとき、彼はこのテーマにさらに光を当てるべく別の本を書いていると言っていましたが、その数ヵ月後、その本が世に出る前に彼はこの世を去ってしまいました。しかし、私が読者の前に示したい事実は、バイオメーターという器具を用いた実験が与えてくれる心(精神)と物質との目に見える結びつきです。
この器具はベルグラス(釣り鐘型のグラスで中に音を鳴らすための振り子が入っていて人を呼ぶときに使うもの)でできており、その内側に(振り子の替わりに)銅の針が細い絹糸で吊り下げられています。ベルグラスは木の支柱の上に設置されていて、その支柱の下には銅線のコイルがあります。しかし、この銅線は電池などの電源とは接続されておらず、単に生命の流れを拡散させない役割しか果たしていません。針の下、ベルグラスの底には、針の動きを測るために度数目盛の付いた円形のカードが貼り付けてあります。この器具を2つ並べて置き、実験者は両手の指をベルグラスから2.5センチほど離したところに置きます。この理論によれば、生命の流れは左手から入り、体内を回って、右手から抜けます。つまり、左手から流れを引き入れ、右手から出すということであり、これはライヘンバッハの人体の極性に関する実験とも一致しています。(訳注:Karl Ludwig Freiherr von Reichenbach( 1788年 – 1869年)は人間の精神に作用する未知の力(北欧神話の神、オーディンに因んで Lebenskraft Od(オドの生命力・英語ではOdic force)と名付けられた力)について多くの著書を書いたドイツ人化学者・地質学者・哲学者です。)
私は、バラデュック博士の著書『人間の振動』を読んでいたにもかかわらず、非常に懐疑的な思いでこのバイオメーターという測定器具を試したことを告白せざるを得ません。しかし、実験してすぐに私の思いの誤りを確信しました。最初の実験は完全にリラックスした状態で行いましたが、左手側の針が20度引き寄せられ、右手側の針(流れが外に出ていく方)が10度引き戻されるのが確認されました。次に、私はこの器具の針が正常な平衡状態に戻るのを待ってから、精神的な態度の変化が生命の流れを少しでも変えるかどうかを確かめるために再びこの器具を操作しました。今度は、右手からの流れをできるだけ強く送り出す意識で行いました。その結果は前回に比べて目を見張るものでした。左手側の針は10度しか引き寄せられませんでしたが、一方、右手側の針は30度以上曲がり、かくして、精神的な力が物理的な生命の流れの作用を変化させることが明確に示されました。なお、この実験は、針の動きを記録する2人の医学者の立ち会いのもとで行われたことを付け加えておきます。
この生命エネルギーの流れが実際にどのようなものであるかという問題については、ここでは立ち入らないことにします。なぜなら、現在の目的に対してはこのような生命エネルギーの流れが存在するという事実確認だけで十分であるからです。私が行った実験の結果は、私たち自身の心(精神)の状態と自然の目に見えない物理的な力との間には対応関係があるという事実を明らかに示しています。この流れのことを「それは電気的なものであり、その変化は身体の中の原子の極性変化によって決まる」と言ったとしても、この極性の変化自体は精神作用の結果です。したがって、宇宙の流れ(自然界における生命エネルギーの流れ)の変化は、私たちの精神力が流れそのものに直接作用すると仮定しても、あるいは身体の分子構造の極性の変化が流れに間接的に作用すると仮定しても、それは同じく私たちの精神作用の結果なのです。どちらの仮説を採用しても、結論は同じです。つまり、心(精神)には、目に見えない力の扉を開いたり閉じたりする力があり、その結果、心(精神)の作用の結果が物質面に現れるということです。
さて、調査研究の結果は、肉体とは、内なる力あるいは精神的な力を外に向かわせる活動様式に変換するための特別な仕組みであることを示しています。私たちは医学的に、神経のネットワークが全身に張り巡らされていることを知っています。神経は、私たちが心と呼ぶ内なる精神的な自我と、外なる肉体的器官との間の通信経路として機能しています。そしてこの神経経路は二重構造になっています。一つは交感神経と呼ばれる神経系で、消化器官の働きや、体組織の日々の消耗の修復など、私たちが意志によって意識的に指示することのできないすべての活動を司っている神経経路です。もう一つは、随意運動系あるいは脳脊髄系と呼ばれるもので、私たちが感覚器官からの信号を受け取り、身体の動きを制御するための神経経路です。この神経系は脳にその中心がありますが、もう一方の交感神経系は、胃の後ろ部分にある太陽神係叢にその中心があります(太陽神経叢はときに腹部脳と呼ばれることもあります)。脳脊髄系は私たちの意図的、意識的な精神作用の神経経路であり、交感神経系は無意識下で身体の生命機能を支える精神作用の経路です。
このように、脳脊髄系は意識的な心(表面意識)の器官であり、交感神経系は潜在的な心(潜在意識)の器官であるといえます。
ところで、表面意識と潜在意識の間の相互作用は、それぞれに対応する神経系の間の相互作用で行われます。大脳から随意系の一部として出た神経を通して発声器官が制御され、さらに神経は胸郭を経て心臓と肺に支脈を出し、最後に横隔膜を通り、随意系の神経が持つ外皮を失って交感神経系の神経と同一化します。こうして両者が連結され、人間を肉体的に一個の存在にします。同じように、脳の異なる部位は、それぞれ心の客観的活動と主観的活動と関連しており、一般的に言えば、脳の前頭部は前者の、後部は後者の、そして、中間部は両方の性格を備えていると考えることができます。
直観的な能力は、前頭部と後頭部の間にある脳の上部(中間部)に対応しており、生理学的に言えば、ここに直観的な考えが入り込むのです。直観的な考えは、最初は一般的で漠然としたものですが、それでも表面意識によって認識されます。そうでなければ、私たちはそのことにまったく気づくことはありません。その後、この考えがより明確で使用可能な形にされ、それを表面意識が把握して随意神経系に対応する振動流を生じさせます。次に、これが今度は中枢神経系に同様の振動流を生じさせることによって、その考えが主観的な心に手渡されることになります。つまり、脳の頂点部(頭頂葉)でキャッチされた直観が前頭葉に伝わり、そこで振動流が生じ、それが随意系神経を通って太陽神経叢へ降りてきた後、今度は逆に太陽神経叢から交感神経系を通って脳の後頭部へ上がってきて、この回帰した振動流が主観的な心の作用につながるということです。
脳の頂点(頭頂葉)の表面部分を取り除くと、そのすぐ下に「脳梁」と呼ばれる帯状の脳内部位があるはずです。これは主観と客観の結合点であり、振動流が太陽神経叢からこの点に戻るとき、主観の静かな錬金術的な働きによって新鮮な形で脳の客観的部分に復元されるのです。こうして、最初はぼんやりとしてしか認識されていなかった概念が、実行可能な形で客観的な心によみがえり、比較と分析を行う前頭葉の領域を通じて、はっきりと認識された観念に働きかけ、その内に潜んでいるものを引き出すのです。(訳注:現代医学では脳梁は左脳と右脳をつなぐ役割を持つと説かれています。)
もちろん、精神的自我(心)のその他の活動形態については言うべきことがたくさんありますが、私が今ここで話しているのは、私たちに最も身近な、肉体をまとった状態における精神的自我(心)であることを念頭においておく必要があります。日常生活のためには、この状態における自分を考えなければなりませんので、心の作用に対する肉体の生理的な反応は重要な項目になります。それゆえ、考えの発端は純粋に精神的なものであることを常に心に留めつつも、肉体面では、すべての心の作用が脳と二重の神経系にそれ相応の分子的作用を生じさせていることを忘れてはなりません。
エリザベス朝の古い詩人が言うように、「魂は形であり、肉体を作るものである」のであれば、肉体組織は、蒸気機関が蒸気の力のためにあるように、魂の力のために特別に適合した器官でなければならないことは明らかです。そして、この二つの間の相互関係を認識することが、すべての霊的な、あるいは精神的な癒しの基礎であり、したがって、心の作用に対する肉体器官の反応に関する研究は、精神科学の重要な一分野なのです。ただ、肉体器官の反応は結果であって、原因ではありません。
しかし、そうは言うものの同じ装置で、電気を流して機械力を発生させたり、逆に機械力を与えて電気を発生させたりすることができるように、原因と結果の関係を逆転させることは可能であることを忘れないことも大事です。表面意識の働きが習慣化されると、それは無意識的なものとなって潜在意識に定着し、第一原因となります。ワシントン大学のエルマー・ゲイツ教授は、脳形成の研究において、このことを生理学的に実証しています。彼は、すべての思考は脳の物質にわずかな分子変化を生じさせ、同じような思考を繰り返すと、同じような分子変化が繰り返されて、ついには脳内に物理的な経路が形成されるということ、そしてこの経路は思考の逆行によってのみ消滅されると説いています。このように「思考の型」は文字通りのものであり、ひとたび確立されると、今度はこの型が、型に見合った宇宙のエネルギーを自動的に引き寄せて、心に影響を及ぼします。心の作用によって習慣が形成されると、今度はその習慣が心(表面意識)に作用することになるということです。だからこそ、自分の思考をコントロールし、好ましくない思考から自分を守ることが重要なのです。
しかし、他方では、この逆コースのプロセスは、善良で生命を与える思考の型を確立するために利用できるかもしれません。この法則を知ることによって、私たちの研究の目的であり到達点であるところの、完全なよき全人格を構築するために、肉体器官そのものをも参加させることができるからです。