1-1. 神はなぜ宇宙と人間を創られたのか

神から創られた一存在としては、神が宇宙を創られ、そして人間を創られた理由は深淵すぎて知る由もありませんが、ただ想像することはできます。ありがたいことに私たち人間の心の働きは何でも自由に感じ、思い、考え、そして想像することができるように創られているからです。

以下の箇条書きは、「人間は神に似せて創られた」という創世記の記述や「人間は神の自己表現の担い手」という偉大なる智者の言葉をヒントに筆者が稚拙な頭でシンプルに想像した宇宙と人間の創造ストーリーです。こういう理解の仕方もあるのではないかという一考察(私論)です。

・神は自分が存在していること(つまり生命を有していること)を自覚しておられました。

・しかし、唯一無二の自分のみが光一元の絶対的世界にただ存在しているだけでは何の動きも変化も生じず静止したままであることに退屈を覚えられました。動きや変化が生じるには高い-低い、熱い-寒いといった相対する二極が必要であり、単極では動きは生じず、いうなれば静止画状態だからです。

・そこで、神は動きのない自分のみが存在しているだけでは何の喜びもないため、動きを生じさせるために二極から成る相対的世界を創ることを決意されました。その二極とは光と闇です。光の不在が闇ですから、光と闇は表と裏です。つまり、光なくして闇は存在し得ないものの、両者の力関係はイーブンということになります。

・この神の相対的世界創造の決意の瞬間に大宇宙が誕生し、進化の長旅が始まりました。

・神は思いひとつで、まったく何もない無の状態から、まず山と川と海を創られ、次に植物、動物、そして最後に人間を創られました。

・そして、人間には「神は存在するのかしないのかといった抽象的な思考」や「何ものにも制約されない自由な想像」ができる能力を与えられました。動物はこの世の物事に即した具象的な思考しかできません。これが動物と人間を分ける決定的な違いといえます。

・神が「何ものにも制約されない自由な想像」ができるように人間を創られた理由は、人間を神ご自身の代理人にするためと考えられます。なぜなら、神は「何ものにも制約されない自由な想像」の力で人間を含む全宇宙のすべての存在を創られたのですから、その能力を人間にのみ与えられたということは人間を神ご自身の代理人として創られたということになります。昔から人間が「万物の霊長」とか「神に似せて創られた」といわれるのはこの事実に拠るものと思われます。

・では、なぜ神に代理人が必要なのかといえば、唯一無二の神にとって、人間という代理人を創り、しかも各自に神を信じるも自由、信じないも自由という100%の思いの自由性(いわば白紙委任状)を与えたうえで想像の力を発揮してもらわなければ、せっかく創った動きのある相対的世界が単なる自作自演の場で終わってしまうからです。

・どういうことかといえば、何であれ、例えば、桜には桜の、ネコにはネコの、そして人間には人間の“かくあれかし”という神の定められた理念(これをプラトンは「原型的イデア」と呼びました)があります。各存在はこの理念から外れることはできません。なぜなら、神がそのようなものとして創られているからです。

・もし、人間に対して「何ものにも制約されない自由な想像の力」を特別に与えなければ、すべての存在が神の意図された理念に沿ってただ相対的世界で存在しているだけになってしまいます。たとえ動きがあったとしても、それは神が設計したとおりの動きにすぎません。全知全能の神にとって自分の創造物が設計したとおりに動くのは当たり前のことですので、それでは何の喜びも得られません。

・ところが、人間に「何ものにも制約されない自由な想像の力」を与えればどうなるかです。宇宙全体に人霊あるいは肉体を持った人間がどれだけいるか分かりませんが、その数だけの自由な創造行為が相対的世界のあちこちで行われ、この三次元世界に現れるはずです。思考あるいは想像は神の働きで必ず現象化することになっているからです。

・ここで原点に立ち返れば、すべての存在の素は神の光しかあり得ませんので、この相対的世界の様相は神の光がそのような現れ方をしているということを意味します。そして、神の光の総体は神そのものですから、実はこの相対的世界の様相はそれ自体が神の自己表現にほかなりません。

・「神はなぜ宇宙と人間を創られたのか」という命題の答えの一つは、神はご自分一人の静的世界に退屈を覚えられて、自己表現の喜びを客観的に味わうために人間を含む複数の生命体から成る動きのある相対的世界を創られたという結論になります。

・以上の想像はいささか幼稚できわめて皮相的なものかも知れませんが、それでも、神を信じる者にとっては、神の自己表現の担い手の一人として、神の付託に応えることのできる自分でありたいたいという動機付けになるのではないでしょうか。

・宇宙に関しては、実際には、パラレルワールド(裏宇宙)の存在やマルチユニバース論(多元宇宙論)といったもっと高度な視点もあるようですが、これらは、また別の探究課題になるのではないかと思います。少なくとも、目下のテーマである私たちが現に住んでいる三次元宇宙と人間の基本的な存在意義を知るうえでは、そこまでの理解は必要ないように思えます。

1-2「神と人間の思考の力は同じか否か」へつづく

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